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神戸屋グループ

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神戸屋グループ 代表取締役社長 須賀 碩二が語る
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プロフィール:
1947年12月18日生
愛知県出身 O型
両親が飲食店を営む環境で育つ。中央大学商学部4年で兄の店で修行。卒業して半年後の22歳で洋食店を開業し、その後店舗を拡大し、現在5店舗を展開する。
日本ソムリエ協会・認定ソムリエでもある。
著書により「映画の中のワインで乾杯!」(東急エージェンシー)


神戸屋グループ:
koubeyashop.jpg本格的な和牛肉が味わえる焼肉レストラン「和牛焼肉&RESTAURANT 神戸屋 山之手本店」や、ガーデン・ウェディングのできる本格フレンチ「ル・ポミエ」など、愛知県で5店舗を展開


SUGA history


父の存在

koubeyafa.jpg 私の父(右写真)は以前、日本郵船の豪華客船で料理長を務めていたことがあり、天皇陛下などにも料理を召し上がっていただいた経験がある、とても腕のいい料理人でした。
 父は晩年、病床でこう言いました。
「もしあと3年生きられるとしたら、いったいあと何回食事ができるんだ? 俺はこれまで、人に作ってばかりだった。おいしいものをまだぜんぜん食べていない」。
 それから父は後悔しないように、おいしいものは何でも食べ尽くしてから逝きました。食に対しての探究心は生涯燃え尽きることなく、父は料理人として人生を全うしたのだと思います。そういう意味では、私の中で父は永遠に天才料理人として刻み込まれています。
 ちなみに私の兄は現在、名古屋の有名店「シェ・コーベ」のオーナーをしています。また、私の店で提供しているカニコロッケやカレーライス、ハンバーグなどの洋食のレシピは、父のレシピを受け継いだもので、兄弟揃って少なからず父の影響を受けているのです。

開業

 両親がレストラン経営で忙しかったので、もっぱら私は祖母に育てられました。両親とも住居を構えた豊田市ではなく、店のある名古屋市で働いていたので、父とは一ヶ月に2回ぐらい、母とは1週間に2回ぐらいしか顔を合わせませんでした。
 そういう環境で育ったので、就職活動の時に「僕も商売をはじめたい」と自然に思いはじめました。大学3年までは無銭旅行で23ヵ国まわったりしていたのですが、大学4年でまず兄の店に入って、飲食を基礎から学びました。そして大学卒業から半年後の22歳の時、5坪の洋食店を開業しました。料理はタンシチュー、マカロニグラタン、ハヤシライスなど。当時はハイカラな料理として注目されたこともあり、儲かった資金で今度は30坪の広さのしゃぶしゃぶとすき焼きの店をオープンさせました。

 その後、メニュー変更や業態転換などを経て、現在の「和牛焼肉&RESTAURANT 神戸屋 山之手本店」や本格フレンチ・レストラン「ル・ポミエ」が誕生しました。約800坪という広大な敷地に2店舗を構え、さらに両店はキッチンでつながっているというユニークな造りで、地元でも有名な巨大なレストランを開店させることができました。
 次に「しゃぶしゃぶ・すきやき・ステーキ神戸屋 八事店」や「焼肉・しゃぶしゃぶ 神戸屋 丸山店」、「焼肉・シーフード 神戸屋 五ヶ丘店」を出店し、現在は5店舗を展開しています。
 
 店名の「神戸屋」は父の店の名からもらいました。戦火の中、沈没した船から脱出した経験が2回あり、死ぬ思いを2度も経験したという父。船が無くなってしまった終戦後の神戸では職も無かったので、故郷の豊田市に戻ってきました。「神戸屋」という店名は、母の故郷でもある神戸への愛着を父なりに表現したのでしょう。そういう想いを引き継ぎ、店名も料理のレシピも、いまだに父の時代の伝統を生かしながら営業しているのです。

Desire to company

困難

 これまで経営が一番苦しかったのは、おそらく焼肉店ならどこもそうでしょう、BSEの時です。BSE問題が報道されてから1年後には、当社の売上高は前年比でマイナス2億円と大きく下回りました。手持ちの金2000〜3000万円ですら、社員の給料や店の運営費などに当てると、たちまち一ヶ月ぐらいで消えていきました。
 電気代も水道費もガス代も、数ヶ月滞納は当たり前。止められる直前に一か月分だけを捻出して何とか支払ってストップを回避する、という自転車操業でした。5店のうち1店は確実に潰さなくてはいけないだろうと、ある程度覚悟を決めて踏ん張りました。
 しかし、これまで何とか店を潰さずに難を乗り切ることができたのは、社員たちのおかげだと思います。「彼らにまっとうな生活をさせてやらなければ…」という責任感だけで私は動いてきました。経営効率化のためには人員削減を強行したり、社員をバイトに降格させる方法が有効で、実際そういうやり方で起死回生した企業もあるようでしたが、私はそういうことは一切しませんでした。社員たちの人生は私の手の中にあると思うと、それだけはできませんでした。

社員への想い

 私は会社を大きくすることより、社員を大切にすることの方が重要だと思っています。店は100店なくてもいいので、社員一人ひとりを大切にしていきたい。きれいごとを並べるつもりはありませんが、結局その方がみんな楽しい人生を送れますから。
 当社はもともと社員比率が高く、現在は約50人の正社員がおります。そして“父ちゃん、母ちゃん、大家族!”的な和気あいあいとした雰囲気なので(笑)、社内結婚も多いのです。昨年はどういうわけか出産ラッシュで(笑)、入れ替わりで産前産後休暇に入ったり、また戻ってきたり。居心地が良いためか“出戻り”が多いのも特徴です。社員全体の4分の1が出戻りですよ。これは自慢ですね(笑)。そういう楽しい職場なので離職率も低いのです。
 
 当社では「全員が目標を達成できるはずだ!!」などと社員にプレッシャーを与えるようなことはしません。人間にはいろいろなタイプがいて、メインの木になる人もいれば、その周りで木を支える土のような人もいます。どんなタイプの人も会社には必要です。だから適材適所で、ひとつの集合体として大きく成長できればいいと考えています。
 長年経営者をやっていたら、経営難に陥ることもあれば、スタッフ全員に一度に辞められることもあります。でもそんなことでくよくよ悩んで、ストレスをためて体を壊しても“百害あって一利なし”だと思います。「商売にはそういうことはつきものだ」と、私は割り切るようにしています。
 例えば、前日にどんな嫌なことがあっても、私は翌朝、何食わぬ顔でいつものように「よぉ!」とみんなに声がけします。経営者に限らず、そういうのは誰にでもあるもんじゃないですか? 失敗した翌日は「店に出たくない。風邪でもひいたらいいのに…」なんて願うこと。心が弱い時ほど、ひょうひょうとしてればいいんですよ(笑)。そうすればそのうち新しい風が吹いてきますからね。(笑)

 私は海外旅行が趣味で、これまで23カ国を回ってきた経験があります。それぞれの国の食文化やレストラン事情は非常に多彩でユニーク。いつも興味深く感じています。だから何年か後には海外にもレストランを作りたいと考えています。例えば「NYあたりで、和牛A−5クラスを食べさせたろか…」などと想像を膨らませると、とてもわくわくします。それが今の私の源動力にもなっています。


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