>>> 25todayのトップページへ戻る

« 2008年05月 | メイン | 2008年07月 »

星の瞬くレストラン 〜御田町 桃の木 オーナーシェフ 小林武志氏

momomain.jpg

プロフィール:
1967年愛知県生まれ。辻調理専門学校の技術研究所で学び、卒業後も職員として8年間勤務。30歳を前に退職し、東京吉祥寺の「竹爐山房(ちくろさんぼう)」にて現場デビュー。2年間の勤務を経て「際コーポレーション」に入社。複数店舗で様々な流派の中国料理の調理経験を積む。2005年10月に独立し、東京三田に「御田町 桃の木」をオープンした。

御田町 桃の木
momotennai.jpgメニューの主役は広東と上海だが、北京や四川にも随所で出会う。「流派を越えた料理としての逸品そのものに惹かれる」というシェフらしく、中国の様々な地方料理を楽しませてくれる。シェフ自らが惚れ込んで揃えた自然派ワインは料理との相性も抜群。スパイシーで切れがあるワインと中華の意外な組み合わせを発見・堪能できる。カウンター越しのオープンキッチンで手早く、力強く鍋を振るうシェフを見ながら食事ができるのも「桃の木」の醍醐味。
momoryori.jpg東京都港区三田2-17-29

毎週楽しみにしていた料理番組。
いつしか自分自身が料理の世界へ。

 調理師学校に入ったのも運命、中華を選択したことも、修業先と出会ったことも運命。好きで選んだ仕事だから一生懸命なりふり構わず打ち込むだけ。その積み重ねが今に繋がっただけです。3年、5年と何かに夢中になれば、次にやりたいことって自然と生まれてくるものなんですよ。
 りんごの皮を剥いたり、料理を温めなおして弟たちに食べさせたり。小学生の頃から母の手伝いをする機会が多かった僕にとって、料理は比較的身近なものでした。友だちにできないことができる。それも嬉しくて自然と料理が好きになっていました。輪をかけたのが当時のテレビ番組です。毎週土曜日の夕方6時、「料理天国」に出てくる料理人たちが見たこともないようなきれいで華やかな一皿を作り出します。自分もこんな仕事で生きていきたい。それが辻調理専門学校に入学するきっかけとなりました。
 入学当初に目指していたのはフランス料理でしたが、授業で様々なジャンルを学び、何と言っても驚き感動したのは中華料理。それまで地元のラーメンや炒飯の味しか知らなかった僕は、先生が作り出す中華の味、バリエーションの広さ、奥深さに惹き込まれていきました。しかも中華料理を目指す生徒は少ないんですね。これって競争が少ないってこと?という思いもあって(笑)、入学4カ月目には本格的に中国料理の道に進むことを決めました。

職員から独立を考えはじめた30歳前。
尊敬する師匠の元で現場修行をスタート。

 料理人を目指して学校に入った場合、通常は1年の課程を経て現場に就職していくものです。しかし僕の場合ちょっと異色の道に進むことになりました。まずは“技術研究所”ができたのをきっかけに在籍を1年延長したこと。そして卒業後の8年間、辻調理専門学校の職員として助手の仕事に就いたことです。これはもう自然の成りゆきというか…。
 就職予定だった銀座のお店からギリギリになって断りの連絡が入り「学校の職員枠が空いているよ」ということで試験を受け残ることになったんです。これも運命ですね。料理に関わる仕事ですから頑張ってみよう。今となればよい経験ができたと思っています。
 「もっと料理を作る時間を増やしたいな」「自分が作った料理を人に食べて欲しいな」と渇望するようになったのは30歳になる前。講師のキャリアが長くなり、将来独立するならそろそろ次のステップに進まないといけないだろうという思いもあって、現場に出て行く決意をしました。東京吉祥寺の「竹爐山房(ちくろさんぼう)」です。
 実は僕は、東京で食べ歩きをする度に必ずこのお店に寄っていました。シェフの山本さんが作る料理は情報誌をパラパラと捲っているだけでも目を留めてしまう、人のモノとはちょっと違っていました。もちろん味も素晴らしい。「現場に出るならこの人の元で」と考えていて、ちょうど店舗拡張の時期と重なって入店することができました。それからは学校とは180度異なる世界。1日16時間の労働、たまの休日でも半日は仕込みのために出勤します。まったく違ったハードな仕事のスタンスに「これが現場というものなんだ」と目が覚めました。

20坪20席。自分が開店するお店のイメージに近い現場で働き
将来に備えた。

 複数店舗での修行は「桃の木」を運営する糧となっています。独立した際は一人で加熱料理をやることになるだろうと20坪、20席規模のお店で積極的に働きましたし、北京、広東、四川などあらゆる流派を学んだため、「流派にこだわるのではなく自分が惹かれる逸品をメニューにしよう」とお店のスタイルが固まりました。オープンしたのは38歳の時。自然と人が集まってくるということわざ“桃李成蹊”もありますが、桃にちなんだものがたくさん集まってきたのでこの屋号にしました。まず3月3日という自分の誕生日、店で使用する有田焼の名人が桃の絵が得意であること、好きで集めている自然派ワインのラベルが桃の絵であること…。ここにも運命を感じます。
 「桃の木」は、以前日本料理店だった建物を改装したものです。カウンターごしに見えるオープンキッチンはその時の名残りで、お客様に緊張感を持って仕事をしている姿を見ていただくためにも手を加えませんでした。今はただただ好きなミステリー小説も封印し、1日24時間、仕事のことばかり考えています。一生懸命働いてくれるスタッフ、そして無償でサポートしてくれる友人や知人。もう「桃の木」は僕一人のお店ではないので、全力で仕事に打ち込むことこそが恩返しになると考えています。
 ドップリと仕事に漬かっている中でいちばん大変なことは、常連のお客様に同じ料理を出さないようアイデアを絞り出すこと。そしていちばん楽しいことは、市場で食材を見つけて料理のアイデアが浮かんでくる時です。辛いけど楽しい。やはり「好きだ」と思える仕事に就けた自分は本当に幸せだと思います。


hyper_bt.jpg

星の瞬くレストラン 〜コジト オーナーシェフ 山田実弘氏

main.jpg
プロフィール:
1964年三重県生まれ。高校卒業後、名古屋観光ホテルに就職。フランス料理の調理場で6年間勤務後、スイスへ。ルッペンの「レブシュトック」などのレストランで修行後フランスに渡る。「コートドゥール」「レベルノアー」「ラムロワーズ」など複数のレストランに勤務し、計4年間の海外修行を経て帰国。 1994年に東京青山にビストロ「マルシェ・オー・ヴァン・ヤマダ」、2000年にはブラッセリ「アルモニ」をオープン。2006年に3店目となる一軒家スタイルのフレンチレストラン「コジト(Cogito)」をオープンした。

コジト(Cogito)
shop.jpg六本木ヒルズの向かいという立地ながら、一本道を入るため驚く程落ち着いた雰囲気。一軒家で営まれるコジト(Cogito)は、ウィーン風の内装が椋材で作り込まれ、暖炉や様々な形のシャンデリアが愛らしくマッチして人を優しく迎え入れてくれる。自ら狩猟もするというシェフによって、11月から2月までは北海道で捕れた鴨や雉子も堪能できる。捕獲と同時に下処理が施され、数時間後には輸送され調理場に届くという。地下と1階のワインセラーにはシェフが“ここに行き着いた”というブルゴーニュをメインとしたワインが常時7000本ストックされている。コジト(Cogito)とは「自我の知的作用」を意味するデカルトの言葉。“本物を求め探し続ける”というシェフの料理への思いが屋号となっている。
cook.jpg東京都港区西麻布3-2-15

モノ作りに携わり食べていけたら幸せ。
人生を決めた一冊の料理本。

日本での修行時代、勉強のためあるレストランを訪ねた時のこと。ソムリエの人を値踏みするような空気を感じ、料理の味も雰囲気もまったく楽しむことができなかった。そんなトラウマを抱えた青年期の私を変えてくれたのがフランスでした。お金もマナーも充分でない私を「よく来たね」と招き入れてくれる人々。フランスで星の付くレストランはどこも心から人を楽しませようという思いが溢れていてて、「レストランとはこういうのも」「将来こんなお店を作りたい」と夢を描かせてくれました。
高校の進学クラスにいた私は、ちょっと変わり者でした(笑)。大学には一切興味がなく、モノを作る何かに携わり食べていけたら幸せだなと考えていたんです。実は音楽が好きでバイオリンを作る仕事に就きたいと、メーカーや職人さんを訪ね歩いたほど。しかし景気が良くないとみなさんおっしゃるんですね。そんな時、飲食業を営んでいた父親から一冊の本を手渡されました。『海の幸フランス料理』。ページを開いて驚きです。「この色の美しさはなんだ!」「世の中にこんな料理があるのか!」。それまで料理と無縁だった私は、一気にフランス料理の世界へとのめり込んでいったのです。
「どうせやるなら一流になれ」という父の勧めもあり、就職した先は名古屋観光ホテルのフランス料理調理場。厳しい環境であることはみんな覚悟の上だったと思いますが、同期13名のうち8名が1年で辞め、その後毎年一人ずつ辞めて行く。結局、6年間の修行を終えた時には同期は全員いなくなっていました。

素材を感じるままに料理する天才がいた。
料理の概念が180度変ったフランス修行。

 ホテルの仕事は組織的。チームワークで一皿を作り上げるという職人技、プロ意識のようなものを学んだため、次は本場で修行してみようと海外行きを決意。24歳でスイス、25歳からはフランスへ。日本の先輩が海外で勤勉に働き学んでくださったためか、当時日本人は受け入れられやすく、料理長の推薦でスイスのルッペンにあるホテルレストラン「レブシュトック」に職を得ることができました。
 海外修行を通して最も印象深かったのは、フランスでの経験です。ブルゴーニュの二ツ星レストランで働いていた時のこと。シェフをまとめるグランシェフでもあった師は、春に実をつけるフランボワーズをバケツ一杯収穫し本当に嬉しそうな笑顔を見せるんですね。どうするんだろ?と思っていると、サッと洗ってただお皿に点々と丸く置いていくんです。で、その間にチョンチョンとクリームを置く。「さあみんな食べよう!」。集まったシェフたちに振る舞うわけです。
 自家栽培しているじゃがいももそう。採れたてを走るように運んで来て、洗ってササッと皮を剥き、バターでソテーしてオーブンで火を通す。「俺の賄いだよ」といって食べさせてくれるんです。そのシンプルな料理が鳥肌が立つほど美味しい。目が覚めました。
 それまでの私は技にこだわり過ぎていた。例えばフランボワーズなら裏ごしするのか?シロップに漬けるのか?パイにするのか?…なんやかんや手を入れることを先に考えてしまう。でもシェフは違いました。「料理人はちょっと手伝うだけでいいんだよ」「自然の力は凄いんだよ」という本当の料理の姿を見せてくれました。奇を衒うのではなく素材を感じるままに料理する。「ここに天才がいた」と思いました。自分がいかに凡人であるかを痛感すると同時に、この時、目指す料理人の像がはっきりと描けました。
 ブルゴーニュのワインも同じです。世代を越えるほどの年月をかけ自然の力で熟成されていく。ラベルがぼろぼろになった古酒を飲んだ時の美味しさは言葉では言い表せないものでした。この時からブルゴーニュワインにはまり、今でもお店のメインラインナップにしています。

ビストロからレストランへ。
「欲望を満たす館」にお招きしたい。

 帰国後お店を出したのが30歳の時。みんなに楽しく料理とワインを味わってもらえるお店を作りたいと考えました。レストランにしたいという夢はあったのですが、設備、音楽、スタッフ…。すべてを揃えるには資金面にも無理があり失礼になると思いました。レストランの気持ちでビストロからはじめよう。それが青山にオープンした「マルシェ・オー・ヴァン・ヤマダ」です。
 青年期に日本でのトラウマがあった私は、とにかく人を緊張させない楽しい店にしたかった。料理を極力安く提供することでワインも気軽にオーダーできるようにする。そんな“献立”にこだわりました。そしてお店を応援してくれるお客様が次第に増え、いよいよ体力がつき2006年にコジトをオープンすることができました。
 コジトには「本物を求め探し続ける」という意味があります。野菜、動物といった料理の素材に感謝し、心をこめて調理したものを食べ、飲んでいただく。音楽や内装などの雰囲気も含めて楽しんでいただく。レストランは欲望を満たす館でなければならないと思っているので、それを実現するためのコジトにおいて、これからも勉強を続けていきたいと思います。
 約4年の海外生活を経て分かった中に、実は日本のことを何も知らない、ということもありました。帰国後は能・歌舞伎・茶道などの勉強も開店準備の一つとして本格的に行いました。料理を知るには歴史や文化も知らなくてはならない。でも、やればやるほど難しくなる。様々なことに感謝しながら勉強を続ける。私にとっての本物の追求、そして料理とは、その継続しかないような気がします。


hyper_bt.jpg

株式会社ヒューマンウェブ

7.jpg

human1.jpg 株式会社ヒューマンウェブ
鷲足恭子

 

 

 

 

 

「"キラキラ輝いてみませんか?"人はチャレンジしている時が、一番美しく輝いている・・・」
私が飲食業に携わり始めた頃、上司から頂いた言葉です。

human2.jpg

 

キラキラ輝き続ける集団であり続ける為に、チャレンジは続きます。

株式会社ヒューマンウェブ(http://www.oysterbar.co.jp/gumbo/

ご興味ある方はこちら

hyper_bt.jpg

株式会社スターツ

6.jpg

starts_main.jpg

この画像の拡大はこちら
株式会社スターツに直接エントリーされる場合はこちら


hyper_bt.jpg